トランスジェンダーの権利を守るために、人間は性別を変えることができるなんて言う必要はない。

Sean Carroll, you don’t need to pretend humans can change their sex to defend trans rights. (substack.com)

ジェンダー・イデオロギーの拡大は、理性的だったはずの人々の心を狂わせ続けている。最新の犠牲者はアメリカの物理学者ショーン・キャロルのようだ。

著名な物理学者が、上記のような発言で公に異議を唱えたことは、このマインド・ウイルスがどこまで広がっているかを示す強い指標ではないだろうか。

しかしこの彼の呟きに対し、以下のようなコメントがついた。

「生物学的なセックスは実在し、不変であり、二元的である」。

コメントをつけたコリン・ライトは進化生物学者で、人間の性別の生物学的現実について客観的な事実を述べているのである。これは単なる意見ではなく、科学的な事実だ。生物学の分野では、人間の性の二元論ほど明白に真実であるものはほとんどない。

もし、人間の性別が二元的で不変的でないことを証明することができれば、その研究はノーベル賞を受賞し、生物学に対する我々の理解全体に革命をもたらすだろう。しかし、そのような査読を経た研究は存在しない。

しかし、だからといって、この事実をよく知っているはずの人々が、この問題に首を突っ込むのを止めることはできない。

物理学者のショーンは、人間の性別の二元性を否定するとき、「実際の科学」を味方につけたと傲慢に考えているようだ。しかし、実際には、ショーンがこの借用したグラフィックでやっていることは、インターセックスの状態の存在を、いくつかの誤った結論への出発点として利用しているに過ぎないのである。

インターセックスの存在やDSD(性発達の差)は、性別の二元論に対するこのグラフィックの唯一の論拠であるように見える。しかし、インターセックスの人々は(ごく少数ではあるが)存在するものの、人間の第三の、あるいは別の性を構成するものではない。実際、ある種のインターセックスは完全に性別を特定するものである。つまり、あるものは男性にしか影響せず、あるものは女性にしか影響しないことがある。そして、「マイクロペニス」や異常に大きなクリトリスを持つ人は、もはや男性でも女性でもないという考え方は、有害であると同時に誤りである。

発生生物学者のエマ・ヒルトンは、このグラフィック内の特異な主張を強調し、次のように指摘する。

「こんにちはキャロル。この図の中で、卵巣、子宮など、膣、肥大したクリトリスを持つ女性よりも、明確な男性(精巣、精管など、前立腺、陰茎、陰嚢)の方が「女性らしい」と位置づけられている理由を説明してください。」

そして、このグラフィックの中には、明らかに間違っているものもあれば、間違っているというだけでなくまったく意味がないものも多くある。

ありがたいことに、進化生物学者のジェリー・コインが、人間の性の二元論を簡潔に説明してくれている。

生物学者によって行われた“真実の科学”は、2つの性別を示しており、1つは小さな可動性配偶子を持ち、もう1つは大きくて動かない配偶子を持っています。第三のセックスはありません。性発達の障害は新しい性別ではなく、生物学的性別は二元的です。身体性別とジェンダーそして発達の異常を混同しないようにしましょう。

そして、この問題について私がコリン・ライトと行ったディスカッションの映像がこちら。彼は9分以内に、人間の性別が二元的であること、そしてなぜインターセックスの状態がこの事実を変えないのかを説明している。

この種の疑似科学を無思慮に推し進めようとする姿勢は、善意によるものなのだろうと私は思う。人々は、トランスジェンダーの権利を確保するためには、人間の性別の二元論を否定しなければならないと考えているようだ。

まず第一に、インターセックスの状態はトランスジェンダーの議論にはほとんど関係ない。なぜなら、圧倒的多数のトランスジェンダーはインターセックスの状態を持っていないし、持っているかどうかも問題ではないはずだからだ。言うまでもなく、実際にインターセックスの状態にある人の多くは、自分の存在がジェンダー・イデオロギーの普及のための道具として使われることをあまり好まない。

トランスジェンダーの権利を守るために、人間が性転換できるように装う必要はないのである。それは、信教の自由を保障するために、世界が6000年前のものであることに同意しなければならないと要求するのと同じことだ。

このようなことは、トランスの権利のための闘いにはまったく必要ないばかりか、逆効果になりかねまないと思う。もしあなたがある権利を主張するために誤った前提を用いれば、多くの人がその権利の正当性を、あなたのくだらない正当化とともに否定したくなることだろう。

トランスの権利を擁護するために必要なのは、個人の自由主義への理解である。それだけである。特定の権利の条件として、ジェンダーに関する誤った主張を押し付けることは、あなたの大義を宗教に変えてしまうだろう。そして私は、トランスの権利を擁護するために使うのとまったく同じ自由主義を、あなたの新しい信仰を拒絶するために呼び起こすことになるのだ。ここに矛盾はない。