アメリカのマラソン大会に「ノンバイナリー部門」が増えている

Road Races Have Added Nonbinary Divisions—Is That Enough? (runnersworld.com)

アメリカのマラソン大会に「ノンバイナリー部門」が増えている:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com)

米コロンビア大学(ニューヨーク)の陸上中距離選手ジェイコブ・カスウェルは、自分自身であり続けるための場を見つけられないもどかしさを感じていた。

米国の大学の陸上競技大会には、男女の両部門しかなかったからだ。しかし、カスウェルのジェンダー意識はノンバイナリー(訳注=性自認を男女の枠組みに当てはめない人。代名詞は「he」「she」ではなく、「they」が使われる)。そこで、男子部門に出場していた。

でも、そう強いられているという抑圧感を拭えなかった。全米大学体育協会(NCAA)の選手の一人としてジェンダー規範に縛られ、自らのジェンダーを問うことができなかった。あえてそれを追求すれば、チームから外れることにもなりかねなかった。

しかし、今は違う。陸上競技のロードレース大会に、カスウェルたちを受け入れる部門ができるようになった。

2022年3月のニューヨークシティー・ハーフマラソン。ノンバイナリー部門が新設され、カスウェルは21人の参加者の一人として出場した。

翌月24日のニューヨークのブルックリン・マラソン&ハーフマラソンでは、初めてフルマラソンに挑戦。ノンバイナリー部門で優勝のテープを切った。

「勝たなくてもよい。自分自身であり続けながら走れるだけでも、すごく解放された気持ちになれる」とカスウェルは喜ぶ。

21年は、全米各地のロードレース大会にノンバイナリー部門ができた年だった。毎回の参加者は、多くて二十数人といったところだ。

性転換した陸上選手の扱いは、米国では政治的な論争に発展した。共和党が強い州では、女子部門への参加を規制する州法ができるようになった。しかし、ノンバイナリーについては、そうした争いになることはほとんどなかった。

レースのノンバイナリー部門は、さほど論議を呼ぶわけでもない。本番になっても、選手は目立ちもせず、何万人ものほかの市民ランナーに交じって走るだけだ。

しかし、多くの当事者からすれば、参加を申し込むときからして違う。「男子」「女子」より正確なジェンダーを記入する時点で、社会に認められ、社会の一員としての尊厳を得たような気になるという。

トランスジェンダーやジェンダーノンコンフォーミング(訳注=社会のジェンダー規範に異議を唱えたり、覆そうとしたりする人々)の選手たちと一緒に走っていると、二つの点で助けられるとカスウェルは話す。

「まず、競技者として互いに引っ張り合うという点。さらに、より真に迫った自らのジェンダーを生きるという点で」

参加者の少なさは、半世紀前の女子マラソンを思い起こさせる。1970年には、この競技で名の知れた女子選手は、世界中で20人ほどしかいなかった。

そして、72年のボストン・マラソン。主催者のボストン・アスレチック協会は女子のタイムを(訳注=初めて正式に)記録するにあたって、「まさに実験に等しい」と評しさえした。

続いて同じ年に開かれたニューヨークシティー・マラソンでも女子部門が新設されたが、出たのは6人だけだった。このマラソンにノンバイナリー部門ができたのは2021年11月の大会で、16人が参加した。

22年4月に開かれた先のブルックリン・マラソン&ハーフマラソン(ニューヨークシティー・ランズ主催)では、82人のノンバイナリーが完走。この部門の出場者数としては、これまでで最多だったと見られている。

このハーフマラソンのノンバイナリー部門で2位に入ったザッカリー・ハリスは、こう話す。「先頭のすぐ後ろには、多くの仲間たちがジェンダーを明かして堂々と続いていると思うと、走りながら誇らしさを感じた」

ハリスのように先頭を争う選手にとっては、この大会ではもう一つの機会が開けた。賞金の獲得だ。

その先駆けは、21年9月のマラソン大会、フィラデルフィア・ディスタンス・ランだった。ノンバイナリーの選手に初めて、ほかの部門とまったく同額の賞金が出た。

「決断を下すのは簡単だった」と主催者の一人、ロス・マーティンソンは振り返る。「手に汗握るレースを見たいし、ノンバイナリーの最高の選手に出場してもらいたいからさ」

22年4月のブルックリン・マラソン&ハーフマラソンでも、主催者のニューヨークシティー・ランズはどの部門の賞金も同額にした。

優勝タイムはフルマラソンの女子が2時間36分20秒、男子が2時間27分46秒、ノンバイナリーが2時間35分17秒(カスウェル)。ハーフマラソンでは女子が1時間18分00秒、男子が1時間1分47秒、ノンバイナリーが1時間12分48秒だった。どの部門の勝者にも、一律に5千ドルが出た。

世界のトップクラスを招待するメジャーな米マラソン大会では、アマチュア分野にノンバイナリー部門を設けるようになったところはまだ少ない。どの大会もトップクラスのノンバイナリー選手の招待枠は作っていない。

例えば、22年3月のニューヨークシティー・ハーフマラソン。運営するニューヨーク・ロードランナーズ(NYRR)は、男子、女子、ノンバイナリーの各部門のベスト8に入った選手に賞金を出しはした。

しかし、NYRRが認めるトップクラスは招待枠に限られ、男子と女子しか対象にはならない。このため、最高賞金の2万ドルがアマチュア分野に属するノンバイナリーの選手たちに広げて適用されることもなかった。

21年秋のニューヨークシティー・マラソン(最高賞金額は6けたになる)も、ノンバイナリーとしての登録は認めた。しかし、完走しても賞金とは無縁だった。

確かに、スポーツ界での受け入れは進むようにはなった。しかし、公平性という点では、疑問や懸念がくすぶる。ジェンダーノンコンフォーミングの選手たちが訴えるのは、ここに来るまでの自分たちの努力が十分に認知されておらず、レース当日の自分たちへの安全策や利便性がまだ不十分なことだ。

ブルックリン・マラソン&ハーフマラソンの本番の日。カスウェルもハリスも、アナウンスなどでジェンダーを間違えられたという。しかも、スタートとゴールの両地点に加えて、表彰式でもミスが続いた。

「なんだか、とても喜劇的な皮肉が演じられているようだった」とハリス。「こちらは、ノンバイナリーの受け入れがやっとここまで来たことを祝いたいのに、運営者の方はまったく逆のことをしてくれるのだから」

これについては、主催者ニューヨークシティー・ランズの創設者スティーブ・ラストーも、改善が必要なことを認めざるをえない。

カスウェル自身は、トランスジェンダーやノンバイナリーの選手の処遇がよくなるのを手伝うつもりだ。性的マイノリティーの走者たちで作る団体フロント・ランナーズとともに委員会を立ち上げ、みんなの意向になんとか沿えるよう、大会の運営者らと話し合っていくことにしている。

「ノンバイナリーの選手は、降ってわいたわけではない」とハリスは強調する。「ずっと存在していたのに、自らのジェンダー意識とはそぐわない部門で走ることを強要されてきただけだ」

そして、こう続けるのだった。

「そんなスポーツ界にも、自分たちを認めようとする構造的な変化がようやく見られるようになった」(抄訳)