小5で「女性」自認の中洲ママ 私らしく生きられて幸せ

小5で「女性」自認の中洲ママ 私らしく生きられて幸せ|【西日本新聞me】 (nishinippon.co.jp)

 きらびやかなドレスからきゃしゃな手脚が伸びる。天井から垂らされたロープを片手でつかみ、妖艶に宙を舞う。福岡市・中洲のショーパブ「キッチュ」のママで看板ダンサーの宮下りかさん(55)は生まれた時の身体的性別と性自認が異なるトランスジェンダー。「男らしさ」を強いられて苦しんだ時期もあったが、「周りの味方に認められて今がある。私らしく生きられて幸せ」と笑う。

 本名は「國章(くにあき)」。北九州市戸畑区で2人兄弟の次男として生まれた。男子と野球するより女子とままごと遊びをする方が好きだった。自らを「女性」と認識したのは小学5年。「ドッジボールで私を守ってくれた男子を突然好きだって思ったの。私は男の子とキスしたいんだって」

 中学生になり、その男子に好きだと告げた。「分かったから、絶対に誰にも言うな」との返事。「隠さなきゃいけないようなことなんだって。神経がおかしいのかな、と悩みました」。父親や高校の教師から「男らしくしろ」と殴られた。大学の男子寮では「なるべく自分を隠していた」。周囲から嫌われたくなかった。

 転機は19歳。経済的な事情で大学を中退することになり、同級生が「ミスターレディー(オカマ)の業界が向いている」と、働く店を探してくれた。打ち明けなくとも、しぐさや目線で気付いていたのだという。

 中洲の老舗ゲイバーに入ると、客から「君は絶対にかわいくなれる」と励まされた。「初めてかわいらしさを求めてもいいと認められた。もっともっと女の子になるんだって思った」

 父親にカミングアウトした。うすうす気付いていたようで「好きに生きなさい。いろいろな試練が待っていると思うけど負けるな」と後押ししてくれた。24歳の時、シンガポールで性別適合手術を受け、「絡み付いていた鎖がほどけた」。涙が出た。

 18年前に、性別変更が認められるようになった。「結婚に憧れていたころなら女性に変えたけど、名義変更とか手続きの煩わしさが嫌」で、戸籍では今も男性。病院などで本名を呼ばれても気にしない。「私が満足しているんだから、それで十分」と言い切る。

 東京・六本木の有名店で働き、23年前に独立。「男らしくしろ」と殴った高校時代の教師が偶然、中洲の店を訪れた。「本当の私」を伝えると、「おれは分からんかった。すまんやったな」と謝られた。

 わが子の性自認について悩む女性から相談を受けたり、中学生の保護者向け講演会で講師を務めたりしている。いつも言うことは同じ。「子どもの味方になって、認めてあげてほしい」

 「男らしく」でも「女らしく」でもなく、「私らしく」。決めるのは自分だ。