スポーツ界のトランス問題をめぐる議論が変わりはじめる

Sean Ingle ,Sport’s trans issue is here to stay. But at last, the debate is starting to change | International Olympic Committee | The Guardian

 時代が変わるのは興味深い。『ガーディアン』紙は、リチャード・バジェット博士が2003年に書いた手紙を入手した。その中で、トランス女性が女子スポーツに出場することの影響について述べられている。当時、英国オリンピック協会に所属していたバジェット氏は、政府の調査に答えて次のように述べている。「男性の性転換者が女性として競技することを認めれば、いくつかのスポーツにおいて競争を不公平にし、潜在的に危険なものにし、女性のスポーツを弱体化させる効果をもたらす」。

 これは当時、興味深い答えだったろう。今はなおさらだ。社会は変化した。言葉も変わった。バジェット博士は現在、国際オリンピック委員会の医学・科学ディレクターを務めている。IOC関係者によると、彼の見解は変化しており、とくに、スポーツにおける包括性(インクルージョン)の必要とフェアネス(公平性)とのバランスを取る方法を見つけることに関してはそうだ。バジェット氏が作成したIOCの新しい枠組みは、これまでとは明らかに異なるスタンスをとっている。男女の競技は「公平で安全」であるべきだと強調する一方で、「証拠によってそうでないと判断されるまで」、トランスのアスリートは「不公平または不均衡な競争上の優位性を持っているとみなされるべきではない」とスポーツ界に伝えている。

 しかし、米国の大学生スイマー、リア・トーマスがこの議論に新たな波紋を投げかけたのは、この枠組み文書のインクがほとんど乾く間もないときだった。彼は、ペンシルバニア大学に入学してからの3年間、男子選手として水泳競技をし、アイビーリーグで6回の決勝進出を果たしたが、世界的な注目を集めるまでには至らなかった。しかし、テストステロンを低下させるホルモン補充療法を受けた後、トランス女性として出場したこの1ヶ月間で、リアは今年の米国における200ヤード〔1ヤードは約91㎝〕と500ヤードの最速タイムを叩き出した。

 しかし、それは物語の半分にすぎない。トーマス選手の200ヤードのタイムは1分41秒93で、歴代17位の記録だ。これはオリンピックに5回出場を果たしたメダリスト、ミッシー・フランクリンの全米記録1分39秒10にわずか3秒以内の差である。一方、500ヤードのタイムは4分34秒06で歴代21位となり、水泳史上最も偉大な女性スイマーと言われているケイティ・レデッキーの記録に迫る勢いだ。

 すべての道は今や全米大学競技協会(NCAA)の選手権につながる。トーマス選手は、3月に開催されるこのNCAA選手権で、水泳界初のトランスジェンダーによる全米チャンピオンになる可能性がある。トーマス選手は先週、「本当の自分」として泳ぐことがいかに自分にとって重要かを強調し、IOCが「競技の健全性を維持しつつ、包括性を推進している」ことを称賛したが、これはスポーツにとって重要な瞬間となるだろう。

 しかし、あまり喜べない人もいる。報道によると、トーマス選手のチームメイトは「泣いていた」そうで、ある人はこう説明している。「どんなに努力しても負けてしまうので、とても落胆している」。一方、『スイミング・ワールド』誌のジョン・ローン氏は、レデッキーの記録が脅かされていることに不安を感じていると述べている。「端的に言って、彼女は、何が女性に達成かの観念を変えた象徴だ」。「トーマスが、このような不世出のアスリートの記録を破ることができるとすれば、それはトーマスが持っている生物学的な優位性とその力を裏づけるものだ」と述べている。

 トーマスがランキングのトップに一気に躍り出たことは、IOCやNCAAにも疑問を投げかけている。女性カテゴリーが存在するのは、エリートのアスリート男性と、エリートのアスリート女性のパフォーマンスの差があまりにも大きいからだということを思い出してほしい。ランニングや水泳では、10%~13%程度の差から始まり、その後その差は上昇していく。そのため、ほとんどのスポーツでは、トランスジェンダーの女性が女性カテゴリーで競うためには、テストステロンを抑える必要があるのだ。

 しかし、最近の研究では、ホルモン療法を行なっても、体力や筋力の面で大きなアドバンテージがあることが示唆されている。トーマス選手のパフォーマンスがそれを裏づけているようだ。移行前のトーマスは、男性の記録に挑戦するほどのレベルではなかったが、現在は200ヤードの女性の現行記録よりも2.6%だけ遅いだけだ。発生生物学者のエマ・ヒルトン博士が指摘するように、トーマスは性別カテゴリーを変更したことで、ランキング上の大きなアドバンテージを得たのである。

 これは不公平だろうか? 2003年、バジェットはそうだと考えた。彼の手紙にはこう書かれている。「BOAは、トランスセクシュアル(性転換者)に後天的な性別での競技を認めることは、女性にとって競技を不公平にする効果があると考えている。男性としての20年以上の人生で決定された体格は、(男性から女性への性転換者の場合)大きく変わることはないだろうから、公平な競争の場という概念を根こそぎにすることになる」。

 スポーツはけっして本当の意味で公平になることはない、マイケル・フェルプスの大きな手の平は遺伝的にも有利だったと主張する人もいるだろう。しかし、男性の思春期は、筋肉量、筋力、除脂肪体重、骨密度などの点で、それをはるかに上回るカテゴリー上の優位性をもたらす。腕の長さが数センチ違うだけで、そうなのだ。

 すべての人を満足させる特効薬や万能の政策はない。この問題は、競合する諸権利と強い感情を伴う。憂慮すべきことに、最近の英国スポーツ評議会平等グループの報告書によると、スポーツ界の女性たちは各国の競技団体から黙っているように言われており、意見を言えばSNSで罵倒される恐れがあることもわかった。

 しかし、時代は変わりつつあるのかもしれない。先週開催された紛争解決サービス「Sport Resolutions」では、何人かの専門家が、スポーツが次に何をすべきかについて、率直かつ丁寧に話し合っていた。それはとても興味深いものだった。「スポーツ人権センター」のデヴィッド・グレヴェンバーグ氏にとって、包括性は非常に重要なものだが、もしスポーツが根本的に変わらなければならないのであれば、変わるべきだという。「人権を侵害することなく、公平な競争の場を作る方法はないのか」と彼は問いかける。「例えば、100m走のスタート時間をずらすとか、スタート時間を遅らせるとか、他にも条件があるのではないか?」。

 一方、ラフバラ大学の客員研究員でトランス女性であるジョアンナ・ハーパー氏は、IOCの2015年のガイダンスと同様のアプローチをとることを主張し、トランス女性は少なくとも12ヶ月間、テストステロン値を5ナノmol/L以下に抑えることが必要だとした。彼女は、それによってアドバンテージは、「トランス女性とシス女性が平等で有意義なスポーツを行なえるほど小さくなる」と述べた。

 しかし、「フェアプレイ・フォー・ウイメン(Fair Play For Women)」のスポークスマンであるニコラ・ウィリアムズ博士は、男性が「もっと歩み寄り、より包括的になる」ことが最良の解決策であり、トランス女性とトランス男性をオープンカテゴリーまたはユニバーサルカテゴリーに入れ、生得的女性専用の独自のカテゴリーを維持することが必要だと述べている。

 どのような見解を持っているにせよ、ひとつはっきりしていることは、この問題が消え去ることはないということだ。そして、トーマス選手の圧倒的なパフォーマンスは、リチャード・バジェット氏やIOC、そして私たちにそのことをより明確に伝えてくれた。