トランスジェンダー男性が明かす「生理」と共に生きるということ

トランスジェンダー男性が明かす「生理」と共に生きるということ (cosmopolitan.com)

性自認は男性なのに、体が“女性”であることを強いてくるという苦悩――。

生理によってジェンダーアイデンティティ(性自認、自分の性別についての認識や感覚)が抑圧され、長年苦しんできたある1人の男性がいます。彼の名は、ヴィック・ジュヴェールさん。

本記事では、ヴィックさんが自分らしいジェンダーアイデンティティを見つけるまでの過程や、生理を受け入れ、共に生きて行く決意を固めるまでのストーリーをお届けします。

■ショックだった初めての生理
11歳のときに、学校から帰るバスの中で初めて生理になりました。

家に着いたとき、帰宅の道中ずっと、スポンジ・ボブが描かれた男の子用のボクサーショーツから血が漏れていたことがわかりました。スポンジ・ボブは、まるでホラー映画から出てきたかのように、血まみれになりながら僕に微笑みました。

僕は、ショックで打ちのめされました。思春期というものは、何となく通り過ぎていくものだと思っていましたが、男の子のような自分であり続けることを切望していた僕は、いわば“規定外”の存在でした。世界が強制的に、僕を自分ではない何かに成長させようとしていて、他に選べる選択肢がないように感じたのです。

“ボーイッシュな女の子”でいることが許されたのは一定の年齢までで、僕と同じくトムボーイだった親友は、すでに女性であることを受け入れはじめていました。彼女は急速にさまざまなことに興味を持ち始め、男の子らしさにしがみついていた僕は傍観者となりましたが、女性であるという血まみれの現実が、僕の下着を深紅色に染めるのです。

生理用のナプキンは男の子用のボクサーショーツには正しく貼りつかないので、女の子用の下着を履かざるをえず、僕の本当のジェンダー・アイデンティティは水面下で抑圧されていきました。

■生理を“隠す”方法を学び…
僕は今も、本当のジェンダー・アイデンティティを抑圧しながら過ごした、すべての年月の棚卸しをしている最中です。

それは常に苦痛…というわけではなかったけれど、自分の感覚を失わせるものでした。世間が正しいとする概念を受け入れ、人生は誰もが乗り越えなければならない不愉快なものであり、生きることに心から満足していると言う人は皆、人間というものについて無知なだけなのだと思っていました。

惨めさと不快感は常に僕の一部だったので、それらを抱えて生きることを学びました。幼い頃から喫煙、飲酒、ドラッグといった自己破壊行為に手を出す一方で、自分の体を物理的価値のあるものではなく、“思考の器”と捉え、クリエイティブなことにも没頭しました。

よく本を読み、他人のストーリーに夢中になったり、男の子である主人公の自分が荒野へと逃げ出し、社会的圧力から遠く離れた場所で暮らすという、新しいストーリーを執筆したりもしました。

この間もずっと、僕にとって生理はとても恥ずかしく、感情的にも身体的にも制限を与えるものでした。また、そう感じるのと同じくらい強く、やりたいことが何もできないような気持ちに苛まれていました。

生理期間中は、理不尽さに悶えました。自分は女性なのだと思い知らされると同時に、ナプキンを交換するのが苦手だったために大量に経血が漏れる結果となってしまい、それが女性としても不適合だという証に思えました。

だから、周りから性別を判断されないよう、生理を隠す方法を学びました。生理中は黒いズボンと黒い下着を身に着けることで、漏れたかどうか誰にも気づかれずに済んだのです。洗濯をした母ですら気づきませんでした。

■カミングアウトによる変化
18歳でロンドンに渡った当時の僕は、“マッチョなレズビアン”としてカミングアウトをしました。アメリカの小さな町からやって来た僕にとって、アイデンティティをオープンにすることは、その存在すら知らなかった新しい世界の扉を開いてくれました。

友人でアクティビストのシーラ・ラヴィンドレンが、僕にLGBTQ+コミュニティ向けの相談窓口を紹介してくれて、それが自分の本当のジェンダー・アイデンティティを見つけるうえで、大いに役立ちました。

彼女は僕自身が気づく前から、僕がトランスジェンダーだとわかっていたそうで、僕が自分を表現するのに適した言葉を見つけるまで、LGBTQ+のイベントに連れて行ってくれたり、コミュニティの情報を共有し続けてくれました。

トランスジェンダー男性としてカミングアウトした直後は、生理は以前にも増して僕を不快な気分にさせました。

無視し続けてきた自分の体が、突然に子ども時代よりも気になるようになったのです。まるでベールが剥がされ、すべてが露わになったような感覚でした。僕は男で、男として存在したかったのに、体はそれに一致してくれず、生理は僕が望むジェンダーから自分がどれだけ遠くにいるかを痛感させるものでした。

生理用品を買いに行くことも、とてつもないストレスでした。シスジェンダー(性自認と生まれた時に振り分けられた体が一致している人のこと)の男として見られることに頭がいっぱいだった僕にとって、それは毎回望まぬ暴露をさせられているような気分だったのです。

■生理を“女性”のものではなく“自分”のものと捉える
医学的な性別移行をスタートし、周りの認識の目が変わり始めてからは、男になるということについて、自分の考え方も変わっていきました。

たとえ性的違和感を引き起こし、社会的に認めてもらえない部分が残っているとしても、僕は男であり、僕の体は男の体だということです。ここに辿り着くまで、知らなかったことがたくさんありました。

決して平坦な道ではありませんでしたし、今でもしばしば自分の体に対して不快に思ったり、生理によって気分が台無しにされることがあります。また、社会の偏見も簡単にはなくなりません。

それでも今の僕は、生理を“女性のもの”ではなく、“自分のもの”として捉えようとしています。これはトランスジェンダーである自分に与えられた特別なギフトなのかもしれないと。そういった意味で、今の僕は生理のある男性であることを、誇りに思っています。