トランスジェンダーの「老後問題」、施設入所に不安

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その患者は78歳だった。健康状態は芳しくなく、退院後に行く当てもなかった。そこで、病院のソーシャルワーカーが、彼女のために米メーン州内で新たに介護施設を探すことになった。

まず、ある施設との間で彼女が滞在する部屋を見つけるための協議が始まった。だが結局、受け入れは無理だと言われてしまった。

2021年10月にメーン州人権委員会に提出された苦情申し立てによれば、ジョーンズポートという街にある介護施設「サンライズ・アシステッド・リビング」は、その高齢女性がトランスジェンダーであることを知って受け入れを拒否したという。

書類上では「ジェーン・ドウ」という仮名で記載されているこのトランスジェンダー女性の弁護団は、ジェンダー・アイデンティティが原因で差別を受けたと訴えている。この1件は、長期の施設入居型介護を必要とする米国のLGBTQ+高齢者が直面する問題を浮き彫りにしている。

このトランスジェンダー女性の弁護団を務めるベネット・クライン弁護士は、「LGBTQの高齢者たち、とくにトランスジェンダーの高齢者は、きわめて脆弱な立場に置かれている。本件はまさしく、そうした脆弱性を実証している」と語る。クライン氏はボストンの非営利組織(NPO)「GLBTQリーガル・アドボケイツ&ディフェンダーズ」に所属。同氏によると、今回の苦情申立ては、この種の事例として米国で第1号になるとみられるという。

州人権委員会はこの件について、2、3カ月以内に裁定を発表する見込みだ。裁定が下された後、当事者同士の和解が試みられる場合もあるし、人権委員会又は本人がメーン州高等裁判所に訴える可能性もある。

メーン州を含め、米国の州の半分近くでは、住宅や公共施設の双方で性自認またはジェンダー自認による差別が禁じられている。高齢者用の居住型介護施設も、このカテゴリーに該当する。

メーン州人権委員会への苦情申立てによれば、サンライズの管理者は、通常の慣例通りにこの女性を他の女性との共同部屋に入居させることを拒否したという。

施設の運営者とその弁護人はコメントを控えるとしている。

クライン弁護士を介して交わしたメールの中で、このトランスジェンダー女性は、自分の体験は居住型介護を必要とするトランスジェンダー高齢者に対して広がっている差別の一例だと思うと述べた。

「自分だけではないと思う。私に対してあのような仕打ちをするなら、別の誰かに対しても同じだろう」。最終的に別の介護ホームに入居したこの女性は、こう語った。

<「無知と敵意」>

カリフォルニア大学ロサンゼルス校法科大学院ウィリアムズ研究所によれば、65歳以上の米国在住者の約200人に1人がトランスジェンダーの自己認識を持っている。

西側諸国では、トランスジェンダーであることを公表して暮らしてきた最初の世代が高齢に達しつつある。LGBTQ+人権活動家は、米国でも他の国でも、介護制度における準備が不足していると指摘する。

トランスジェンダー高齢者の介護におけるギャップへの対処に取り組むNPOは、ニューヨーク市やスペインなどにいくつか存在するだけだ。

「亡くなる人もいる。孤独であり、貧しい」と、マドリッド拠点のLGBTQ+支援NPO「12月26日基金」のフェデリコ・アルメンテロス総裁は語る。同NPOは今年後半に、LGBTQ+コミュニティを対象としたスペイン初の介護ホームの開設を計画している。

研究者らは、トランスジェンダー高齢者は施設における介護を必要とする可能性がそれ以外の人よりも高いと見ている。体が不自由になっていたり、慢性疾患や、トランスであるゆえのスティグマ(社会的不名誉)や差別に起因する精神疾患の比率が高いからだ。

ジェンダー自認をめぐって家族との絆が断たれていることも多く、現役時代にも給与水準の良い仕事を見つけて働き続けることが難しく、高齢になってからの介護の選択肢も限定されている。

全国的なLGBTQ+統括団体としてスペイン最大のFELGTBが2019年に行った調査によれば、55歳以上の平均賃金が月2306ユーロ(約30万円)なのに対し、同世代のトランスジェンダーの72%は月収700ユーロ以下にとどまっているという。

セントルイス・ワシントン大学ブラウン校のバネッサ・ファブレ准教授(ソーシャルワーク論)は、トランスジェンダー高齢者のニーズに焦点を当てた研究を進めている。同准教授によれば、介護施設において、差別や虐待を受けるのではないかと不安を感じているトランスジェンダー高齢者は多いという。

「高齢に達したときにどういう扱いを受けるかというトランスジェンダーの不安には、残念ながら根拠がある」とファブレ准教授。同准教授は、配偶者である写真家のジェス・ドゥーガン氏と協力し、トランスジェンダー高齢者の経験を記録する「To Survive on This Shore(この海岸で生き延びるには)」という写真展を催した。

ファブレ准教授は、トランスジェンダー高齢者の体験からは、「高齢者介護のシステムが、トランスジェンダーとしての体験や身体について、良くてもせいぜい無知、最悪の場合は敵対的であることがよく分かる」と語る。

LGBTQ+人権活動家は、異なる性別として呼んだり、当人のジェンダー自認と異なる扱いをすることも、そうした敵意の表われと考えられると指摘し、介護施設という環境においてもトランスジェンダーの人々の権利を保障する法律を求めている。

LGBTQの介護に力を入れるニューヨークのカレンロード地域医療センターで研究教育担当シニアディレクターを務めるエイサ・ラディックス氏は、「(LGBTQ+の)人々に適切な介護を提供するための立法措置が必要だ」と語る。

<法と現実>

米国でも、改革の動きはまだ始まったばかりだ。

カリフォルニア州は2017年に、長期介護施設に入居するLGBTQ+の人々に多くの法的保護を確立する法案を可決し、これが呼び水となってニュージャージー州と首都ワシントンでも同様の立法措置が行われた。

だが、LGBTQ+の権利を巡る「文化戦争」の中で、こうした措置への抵抗も起きている。

カリフォルニア州のある控訴裁判所は昨年、介護施設職員が入居者を意図的に繰り返し不適切なジェンダーで呼んだり、入居者が望む名前で呼ぶことを拒否することを軽犯罪とする州法の規定を無効とする判決を下した。

州法の規定は憲法で保障された言論の自由を侵害しているとしたこの判決は、LGBTQ+人権活動家の怒りを呼んだ。

問題の州法の筆頭提案者で、ゲイであることを公表しているスコット・ウィーナー州上院議員は、トムソンロイター財団による電話インタビューの中で、「言論の自由ではない。心身の弱ったトランスジェンダー高齢者に対する脅迫であり嫌がらせだ」と語った。

州司法長官の要請を受けたカリフォルニア州最高裁はこの判決の再審理を認めた。ウィーナー上院議員は逆転勝訴を期待できると話す。

バイデン政権で、連邦政府は、医療分野における差別からLGBTQ+の人々を保護することを約束している。

複数の連邦裁判所は、2010年の医療保険制度改革法では、メディケイド(低所得者向け公的医療保険)とメディケア(高齢者向け公的医療保険制度)を含め連邦予算からの資金を受ける施設におけるジェンダー自認に基づく差別を禁止しているとの判断を示している。

これは、さまざまな州における反差別法制、そしてLGBTQ+であることを理由とする雇用差別を禁じた連邦最高裁判所における2020年の画期的な「ボストック判決」を補完する動きだ。

ラムダ・リーガルの上級顧問弁護士カレン・ローウィー氏は、「とはいえ、法律の条文に書かれていることと、現実に人々がどのような経験をするかは、また別問題だ」と述べ、LGBTQ+の高齢者に対する保護は、いわゆる「平等法」の可決により強化されるだろうと指摘する。

「平等法」は2021年に連邦下院を通過し、連邦上院の幹部も優先課題として扱っている。ローウィー氏は、連邦法による差別からの保護を明確にし、長期介護施設に求められる要件を拡張するものだと説明する。

<「老いる」ことの平等>

ディアンヌ・カロンさん(65)は、「元重罪犯であるトランスジェンダー女性」である自分が、この年齢になって生きていける場を見つけられるとは決して思っていなかったという。まして、安全で歓迎される場所など望外だった。

カロンさんは長年にわたり、長く暮らせる住居をなかなか見つけられずにいたが、現在はニューヨークのブルックリンで暮らしている。NPOのSAGEが、LGBTQ+高齢者を歓迎することを掲げて過去2年間に市内に開設した2カ所の集合住宅の1つである。

英国では、LGBTQ+高齢者の孤独対策に取り組むトニック・ハウジングが、昨年9月、コミュニティ内の高齢者を対象に、同じような住宅プロジェクトを立ち上げた。

このプロジェクト「Tonic@Bankhouse」は、ニューヨーク市におけるSAGEの住宅整備と同様、トランスジェンダーの年金生活者だけを対象としたものではないが、トニック・ハウジングのアンナ・キアー最高経営責任者(CEO)は、「LGBTQ+を歓迎する英国唯一の引退者コミュニティ」と称している。

世界中でトランスジェンダーであることを公表する人が増加する中で、トランスジェンダーのコミュニティにおける高齢者介護ニーズに対処するために、政府はもっと動かなければならない、と活動家たちは語る。

「今の高齢者は、現代のLGBTQ運動を創造した人々だ。私たちができる最低限のことは、彼らが高齢になっても敬意と尊厳をもって扱われるようにすることだ」とウィーナー州上院議員は力を込めた。