3度性転換したトランスジェンダー作家、トランス女性に対する女子スポーツ参加禁止法案を第2次世界大戦の収容所に例える

Trans Writer Compares Sports Bills to WW2 Internment Camps (reduxx.org)

2月19日、トランスジェンダーのライターが、男性の女性スポーツチームへの参加を拒否することを、第二次世界大戦中の日系人抑留になぞらえる記事をひっそりと掲載した。

「トランスジェンダーが80年前の残虐行為の再現を恐れる理由」と題されたこの記事は、現在アメリカの各州で繰り広げられている、プレーの公平性を求めるスポーツ法案を、1942年に日系アメリカ人をその人種ゆえに収容した収容所に直接比較しようとするものであった。

この記事は、トランスジェンダーであり、3回性転換をしたと報告されているドーン・アニスによって書かれ、スポーツ法案とトランスジェンダーの若者の高い精神疾患率が、人種差別収容所の恐怖を思い起こさせると主張している。

エニスは、「…自分の自認と一致するトイレを使えないこと、本当の自分として競技することが禁止され、勝つためにすべてを捧げることができないこと…」と書いている。しかしこれらは、80年前、アメリカ市民が、自分が誰であるかを理由に検挙され、遠くへ移動させられた弾圧と、特に似ているわけではない。

また、水泳選手のリア・トーマスに向けられた「憎悪に満ちた見出し」という記事も、明らかに第2次世界大戦中の日系アメリカ人のそれと似たトランス抑圧の例だと主張しようとしている。

残虐行為を引き合いに出しながらも、アニスは1940年代の日系アメリカ人の体験と、現在の米国でトランスジェンダーに起きていることとの間に何の関連性も見出せてはいないようだ。

1942年にフランクリン・D・ルーズベルトによって設置され、1945年まで続いた「戦争転住収容所」。真珠湾攻撃後、アメリカ国内での「スパイ活動」を防止するためという名目で、日本人の血を引くアメリカ人が対象となった。

少なくとも16分の1でも日本人の血が入っている12万人のアメリカ人が、自宅から指定された地域へ移住させられた。中には、家畜小屋や人が住むには不適当な場所に住まわされた人もいた。収容所での死因は結核、衛生状態、飢餓などで、合計1,800人以上が死亡した。

アメリカ政府は1988年、収容所から生還した日系人に対し、正式に謝罪している。

これらの残虐行為の詳細は、エニスがトランスジェンダーの若者と摂食障害に関する統計により読者を混乱させる記事の中で、特に触れられているわけでもない。記事の最後には、有名なジョージ・サンタヤーナの言葉が引用されている。”我々は歴史から学ばなければ、歴史を繰り返すことを余儀なくされる”。

生物学的男性であるエニスは、ABCでプロデューサーとして働いていた2013年に、初めてトランスジェンダーであることを宣言した。17年連れ添った妻と離婚し、オフィスでは「リトルブラックドレス」とウィッグを着用するようになり、同僚には自分を女性代名詞で呼ぶように要求した。数カ月後の8月、彼は記憶喪失の「2日間の発作」によって、自分がトランスジェンダーではなく、男性であることが快適であることに気づいたと述べている。

「ドン・アニスに改名することをお知らせするために書きました。それが僕の名前に戻る――今も昔もだ。そして、どうやら私はトランスジェンダーではないようです」と、2013年に同僚に脱トランスを説明する手紙を書いている。

しかし2014年5月、アニスは女装してトランスジェンダーだと言って職場に戻り、それ以来そうであるらしい。彼は2度目の性転換後すぐにABCを解雇されたが、その後は他の複数の出版社で活躍し、現在はハートフォード大学でジャーナリズム、広報、広告の教鞭をとっている。

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彼が書いた記事の内容よりも、三度の性転換の方がインパクトが強い。

記憶喪失の2日間の発作で「やはり男性だった」と気づいて、またしばらくして女装して「トランスジェンダーだった」と主張し今に至るとは………。

まさに自由自在。

さて、あなたはどう思われますか?