性別を“再変更”した当事者の思いー日本

子どもが産めず、声の低い身体に…性別を“再変更”した当事者の思い 「性同一性障害特例法」「性自認」をめぐる課題を考える | 国内 | ABEMA TIMES

「身体を変えて、戸籍を変えて、男性として人と関わって、君付けで呼ばれて、男性に男性として関わられるのが、ものすごく違和感だった。それがしたかったはずだけど。本当にお恥ずかしい話だが…」

 心と体の性が一致しない「トランスジェンダー」。その認知度が高まるにつれて、性別を変更する人も増える傾向にある。

 一方、性別を変えた後に、「新しい性別では世間に馴染めなかった」「戻してほしいと親に頭を下げられた」「ハラスメントや差別を受けた」などの理由から、性別を再び元に戻したいと考え始める人たちもいることをご存知だろうか。アメリカでは性別変更をした人のうち、実に8%が再変更しているという調査結果もあるという。

 8年前に戸籍上の性別を女性から男性に変更したヒカリさん(30代)も、望んでいたはずの男性としての生活に違和感を覚え、去年、“性別の再変更”を行った。

 「私は母親が若い時に初めて生まれた子どもだったので、ちょっとヒステリックになりながらも子育てを頑張っていたんだと思う。ただ、女性は子どもが生まれると“母”になり、それが第一になってしまう。そこから女の人生は男に影響を受け、全てが変わってしまう、さらに女って生き物が汚いというようなイメージを持つようになってしまった」。

 幼い頃から、どこか女性にネガティブなイメージや偏見を抱いていたというヒカリさん。思春期にさしかかると、恥じらいも相まって化粧をすることはせず、ボーイッシュな格好を好んでいたという。「中学2年生くらいになると、周りの女の子はメイクを始めたり、男女交際が始まったりする。でも私は“それはちょっと違うな”、“なんか気持ち悪い”という感じがするようになった」。

 さらに20代に入り、最初の性別変更を行うきっかけが訪れる。“体は女性、性自認は男性”だというトランスジェンダー・FtM(Female to male)との出会いだ。“普通の女性としては生きにくい”という気持ちがあったヒカリさんにとって、“治療をすれば男性として暮らせるのかな”と考えるようになった。

 それからホルモン療法を開始、性同一性障害の診断を受けたヒカリさんは、2年以上をかけて戸籍上の性別を男性に変更した。にも関わらず、ヒカリさんの心には“喜び”以上に“違和感”が湧き上がったという。「社会に出て2、3カ月くらいで、違和感を覚え始めた。当たり前のことだが、職場の会話などでは男性として扱われる。男の人になろうとしていたけれど、性指向は男性のみだったり、ちょっと典型的じゃないところもあるので、女性が好きなフリをしなきゃいけなかった。覚悟はしていたつもりだが、そういった基本的な部分で苦しくなってしまった」。

 長年の違和感が「男性になる」ことで解消されるものではなかったと気づいたヒカリさんは、女装をして生活するようになった。そしてついに、再度の性別変更に踏み切る。

 ただ、戸籍上の性別は女性に戻すことができても、元に戻すことができないこともある。現行法では、戸籍上の性別を女性から男性に変える際には、2人以上の医師が「性同一性障害」と診断すること、20歳以上であること、婚姻していないこと、現に未成年の子がいないこと、生殖不能:生殖腺がないこと、性器に係る部分に近似する外観を備えていることの5つが条件となっている。(性同一性障害特例法)

 そのため、子宮や卵巣などを摘出する、いわゆる「性別適合手術」を受けることが必須であり、戸籍上の性別を男性に変更していたヒカリさんも、もう子どもを産める体ではないのだ。「私の性指向は“男性のみ”。だから男性のパートナーができても、“この方の子どもは産んであげられない”」。

 それだけではない。トラブルを回避するため、様々なことに気をつけながら、生活を送らなければならない。例えば男性ホルモンを投与していたため、声が低いのだ。「この声を女性トイレで出すと、“あれ?男の人かな?”と振り向きたくなってしまうと思う。それは申し訳ないので、トイレでは声を出さないようにしている」。

 結果的には性同一障害ではなかったヒカリさん。これまでのことを振り返り、「男性にしてくれた先生に、“女性に戻りたい”と正直に相談をして、他の専門家の先生を紹介していただいた。診断をしてくださった先生方の顔に泥を塗るというか、“誤診だった”としてご迷惑をかけなければ戻せないのは心苦しかった。私の場合、思春期に不登校になってしまったので、他の人が友人関係とか恋愛などを通して、性自認の問題に気付く機会が無かったのかもしれない。世代的には、『3年B組金八先生』で上戸彩さんが演じたFtMの役で知った。その頃から本を読んだり、治療を考えるようになってからは当事者団体で他の知り合ったり。そんな中で、頑張らなきゃ、早く変わらなきゃ、と治療に突っ走っていっていってしまった」と振り返る。

「30歳を過ぎて感じているのは、人生の時間をだいぶ無駄にしてしまったし、本当にバカだったな。子どもだったなと思う。“男にならなきゃ”と思っていたし、治療が進んでいくのが嬉しかった。でも、それは“女性が嫌だから男性にならなきゃ”という自己暗示にかかっていたというか、突っ走ってしまったのだと思う。戸籍は戻すことはできても、身体は非可逆。治療に入る前に色々な人と関わってみたり、別の理由で性別を変えようとしているのではないか、答えを出さなくてもいいので、しっかり考えてみたりする必要があると思う。急がないで欲しい」。

 ヒカリさんの体験談を受け、慶應義塾大学の若新雄純特任准教授は「様々な性自認を持つ人に問題があるというわけではなく、環境が問題なのだと思った。僕は中学生時代、ビジュアル系バンドが好きだったから、化粧をしたい、睫毛をいじりたいと思うようになった。“お前、なんかおかしいんじゃない?”と言われたこともあったし、“あれ、俺って女っぽいところがあるのかな”と思ったこともあった。でも、たまたま死ぬほど女好きだったから、“俺は確固たる男だ”という性自認になったのだと思う。ヒカリさんも、“そんな歳なのに化粧しないの?”“この歳になったら普通こうするはずなのに、なんで?”ということがあったから、“私はおかしいのかな”という疑問を抱いたということだと思う。“男らしさ”とか“女らしさ”にこだわらない、放っておいてくれる社会だったとしたら、そこまで悩まなくても良かったのではないか。“よくある女性”のイメージに当てはまらない状態を許さない感じが、今の社会にあるということに気付かされた」と話した。

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